佐々木 徳圭

仙台支社
営業部

取材日:2021年3月24日

公開日:2021年5月11日

「乗り越えた強さ」を
備えた人。

状況に対峙し乗り越えるための可能性を探る

仙台支社は弘前、八戸営業所を管轄する、キョウエイアドの東北の拠点で、2010年に入社した佐々木は、係長として営業の最前線で勇躍している。

オンラインで繋いだ画面に、にこやかに登場した佐々木は、かんたんな挨拶の言葉を交わし、さっそく彼の地の様子を話してくれた。

「出勤時の人出は通常時の8割くらい。県と市による店舗の営業時間短縮の要請が先日解かれたのですが、街から人が引けるのが早いです。
昨春以来、アルコールを提供する飲食関連、観光関連のお客さまに特に影響が出ています。建設、不動産、クリニックなどでは業容を拡大されている企業もあり、そうしたお客さまからは、新たに受注することができています。」
今般の状況は、地域の経済を支える産業にさまざまな影響を与えている。

「長く付き合いのあったお客さまから、今回は大きな影響を受けているので、出稿できず本当に申し訳ない、と言われたことがありました。お客さまに非は無いので、却って心苦しく感じました。」
契約を逸しても相手の立場を慮る、佐々木の心根の優しさが伝わってくる。

この先のマーケットの変化を見据えて

仙台支社は、昨年の春に出された緊急事態宣言下では全員在宅勤務にシフトしたが、現在営業職は通常時と同様に出社している。
「およそ1ヶ月の在宅勤務でとくに不便はなかったです。ただ、家族がいる空間での業務では、気持ちの切り替えが難しく感じました。
出社して、社員皆で「今、ここ(※)」を共有して仕事を進めていくことの魅力を、改めて認識した経験でした。」
(※)その時の、目前に集中することを説いた、禅の言葉による

一方で9月に仙台支社で展開した、東北の他の営業所のメンバーとリモート環境を活用してチームを組んだ営業キャンペーンでは、従来とは異なる手法で成果を挙げたのも事実だった。

オンラインを活用した営業手法について佐々木の考えはこうだ。
「以前には想像もできなかったことですが、今ではこの取材のように画面越しにコミュニケーションを取ることが可能になっています。お客さまのマインドやニーズも変化していくとおもいます。新しい技術を活用することで自分の「武器」を充実させていきたいです。」

どこにいても情報を扱うことができる時代である。そうした環境をいかして、よりよい結果につなげていくためには、自らの在宅勤務の経験を通して、各個人で異なる仕事環境の違いを解消していくことも重要だと感じている。

新規の取引先を獲得し、既存の取引先との関係を拡充する。現状、交通媒体が主体の売上にプラスアルファをもたらすため、積極的にその他の受け皿を増やしていこうとしている。
「2019年より市の広報誌の広告スペースの扱いを始め、交通広告では取引のなかったお客さまから受注をいただきました。Web広告などもそうですが、常にお客さまのニーズに柔軟に対応できるようにしておきたいと強く感じました。交通媒体の案内を入り口としたお客さまへのご提案を、多方面に展開させていくことができるからです。」

こうした経験から、近年では自治体広告の販売も積極的にてがけている。
たとえば、子育て関連の行政サービスに付随する広告販売を手掛けたことで、ベビー向け商品の製造メーカーとの取引がはじまるなど、いくつかの成功事例も生まれている。

「若手や他分野から来た社員の考えも尊重してアイデアを出し合うことで、新規のお客さまを増やして継続のお客さまを増やす、という良い循環をつくっていきたいです。」

今後のマーケットの変化を見据え、「分母」となるクライアントの数を情報機器の活用も含めた積極的な営業によって増やし、それに掛け合わせる「係数」を案内の密度や新規商材の拡大によって向上させ、「分子」となる新規と継続をあわせたクライアントの数と扱い単価を増やすことで、売上の向上を目指すという戦略を佐々木は描いている。


クライアントの社長から誘われ、5年ほど前からゴルフを楽しんでいる。
「人脈が広がることももちろんですが、人生の先輩であるみなさんが優しく接してくださるのがありがたく、毎回喜んで参加しています。」
家庭では、妻、そして中学2年生の長女を筆頭に3人の子どもたちと憩いの時間を過ごしている。

震災から10年を経ておもうこと

入社して半年、社内で地震に遭った。揺れはひどかったが怪我はなく、家族も無事だった。

仙台支社では被害が比較的少なかった弘前営業所に4月に社員を出張させて営業を再開し、6月に仙台に戻ることができた。
社によるBCP(事業継続計画)的な対応の一環だった。

その間、事情により仙台に残った佐々木は、がむしゃらに仕事に取り組んだ。広告の一部に「がんばろう東北」というメッセージを入れた商品を販売。企業イメージに寄与するとともに地域を元気づけたいという気持ちからだった。

「その時ずっと頭にあったのは、小学生の時に所属していた野球チームの監督から教えていただいた『ピンチの後にチャンスあり』という言葉です。
これまで経験したことを振り返ると、苦しい状況を乗り越えた先には、より成長した自分がいて、明るい未来がありました。だから今のこの厳しさも必ず乗り越えられる、そう確信しています。」

どのような困難も、それを成長の糧とする気概を心のうちに築くことで、良い経験とすることができる――今、誰しもが胸に刻むべき言葉だろう。

(了)