岩岡 大輝

広島支社
営業部

公開日:2020年7月3日

どこに在っても
自らを高めようとする人。

ピアノとともに歩んだ人生

広島駅を降り立つと、最初に目に飛び込んでくるのは「ひろでん」の愛称で親しまれる路面電車の降車場。様々なデザインの車両が市中をひっきりなしに行き交うさまに、公共交通は都市景観の大きな要素であることを改めて認識させられる。そしてキョウエイアド広島支社はビジネスの中心街、八丁堀にある。

「市電は通勤、通学、日々の生活に使われ、様々な人に情報を届けることができる受け幅が広い媒体です。」
ピアニストとして活動した経歴をもち、もうすぐ入社二年になる(取材時)、現在営業部社員として所属する岩岡は彼の地の交通広告の事情を説明してくれた。

「自分を律することで、営業という仕事はよい成果を得られるのではないかと考えています。」スリーピースのスーツに首元まできちっと締められたネクタイ。生真面目でストイックな性分がうかがえる。
ピアニストと広告代理業の営業職。仕事の内容は全く異質のものであるようにおもえる。ピアニストとして何を得て、それをどのように現在の仕事に反映させているのか。話に耳を傾けていくにつれ、岩岡のなかで両者をどのように連続させて自らを高め、職場に良い影響をもたらしているのかが明らかになっていった。

「人生は選択の連続である」―シェイクスピアの戯曲にある台詞だ。
岩岡は強い意思で、人生を大きく転換させた。

4歳から始め、熱心にレッスンを続けたピアノ。高校二年生の時、「大阪の音大に進んでピアニストとして生きていきたい」と進路を定めた。しかし公務員である父は、わざわざ不安定な道を選択することに反対した。

「高校三年生の冬前に、あるコンクールの高校生部門で銅賞を受賞することができました。それでも父は首を縦に振ることはありませんでしたが。」
母親の助けもあり、無事希望通り大阪の音大のピアノ専攻への進学を叶える。

自らの演奏の到達点、そして迎えた転機

在学中はピアノ漬けの日々を送り、友人とポップスのピアノ・デュオを結成した。オファーを受け、神戸の有馬温泉の各旅館にて演奏を披瀝したこともある。演奏技術の高まりと同時に、進学前は茫洋としていた目指したいピアニスト像も明確になっていく。

「自分はピアニストとは研究者であると考えています。時代のニーズにあった弾き方、音の出し方などを考え、例えばショパンの曲であれば、ショパンを咀嚼し、自分のオリジナルの演奏法をつくりあげる、ということです。」
ホールなどで演奏する時には、季節や温度、湿度、あるいは聴衆の服装などの要素を勘案し、環境により弾き方を変えて音の響き方をコントロールする。プロの表現者とは、それほど繊細な感覚をもちあわせているのだ。

卒業後は生活の糧を得るために企業に就職し、ピアニストとして活動を続ける。そうした中、全国コンクールのピアノ部門一般男子の部で入賞に輝いた。

「地元広島で『広島(ふるさと)の祈り』というタイトルの凱旋リサイタルをひらきました。演奏中、ハンカチを目頭に当てる父母の姿が目に入りました。父は照れ隠しか、『上手いのかどうなのかわからん』なんて言っていましたが。控室に戻ると込み上げてくるものがありました。その時に家族全員で撮った写真は今でも良い想い出です。」
4歳から始まったピアニストとしての人生のひとつの到達点だった。

しかし会社員とピアニストの二重生活は、己の演奏技術が徐々に錆びていく現実もあった。演奏活動継続の判断のリミットと定めた30歳という年齢も近い。

「ピアニスト活動も会社勤めもやめて広島に帰り、一から再出発することにしました。大阪で中途半端にピアノと関わり続けるとずっと苦しむことになりますし。決断して一ヶ月後には広島に戻ったのですが、自分で決めたこととはいえ、引っ越しを終えて空っぽになった部屋をみたときには、喪失感に涙が止まりませんでした。」

ネット情報を参考に様々な業種にアプローチした。自らの凱旋リサイタルのフライヤーやチケットを制作したことがきっかけで、広告代理業にも興味をもった。精力的な活動の結果、数社から内定の通知を得たが、面接官の印象から職場の人間関係の良好さがうかがえたキョウエイアドに入社。立地の良さも魅力だった。

ふるさとで再出発して得たもの

キョウエイアドでは交通広告の営業に従事、二ヶ月後に初の成約を得た。今では多くのクライアントからの信頼を勝ち得ている。
「入社して広告とは工夫して売らなければならないものだと痛感しました。どのようなお客さまに、商材をどのように伝えるかという広告営業の仕事は、自らの演奏法を如何に聴衆に表現するかを追求するピアニストと共通するものがあると考えています。」

演奏技術の鍛錬で培われた探究心とパッションが営業活動でも発揮されていることが、後輩社員にも影響を与えている。
「一本の電話に熱意があり、本数も多い。一番学ばせてもらっているのは決してあきらめない姿勢です。自分の仕事に集中しているのに常に周囲を観察していて、『こういう話し方がいいよ』とアドバイスしてくださることもあり、皆とともに成長しようという意思が強い方だとおもいます。」

成約が取れないというスランプに陥ったこともある。
「数字が上がらない時も、ネガティブにならずに電話をかけ続け、大きな契約が取れました。くさらずに努力している姿を営業の神様がみていてくれたのでしょうかね……」
冒頭の、「自分を律する」という言葉は、強靭な意思の継続という意味だと理解できた。経験を積んで、チームのマネジメントにもチャレンジしてみたいという意欲ももっている。

そして、元来の自分の強みである「耳の良さ」を活かせる分野にも興味がある。
「企業名を短いメロディで表現するサウンドロゴに関心があります。音を聞いただけでその企業の名前が頭に浮かんでくるのでラジオやバスの車中でも活用できるでしょうし、クライアントへの提案でも大きな武器になるのでは、とも考えています。」

ピアニストとして培われた「意地と気配り」はこうして広告営業の現場でもいかされ、チームのパフォーマンスの向上にも良い影響を与えている。そして持ち前のアーティスティックな感性は、キョウエイアドの商材に厚みを加えていくことが期待されるだろう。

人生を賭けて取り組んだピアノは、今は趣味として接している。
「他には釣りが好きです。理想の一日は休日の土曜、朝からビールを飲みながらゆっくり釣りを楽しむ。帰ったら釣った魚を刺し身にして日本酒の盃を傾ける。最高ですね。」

2匹の愛らしい猫とともに暮らすが、そろそろ自分の家庭を築きたいとも考えている。
「ピアノを学んだことは、自分を、そして周りの人を幸福にするものをみつけることができた時間だったとおもいます。」

取材の最後、一曲を披瀝してくれた。セルゲイ・ラフマニノフ作曲「鐘」。ひたむきでエモーショナルな演奏に心を震わされた。

(了)